武道に見る自分軸 弁護士松江仁美が教える「自分軸の作り方」

    弁護士松江仁美の「自分軸の作り方」
   自分の人生、自分で生きなきゃ

③ 武道に見る自分軸

 さて、今回は武道と自分軸の話をしてみたいと思います。
 私が空手の稽古をしていて良かったなと、今心から思えるのは、まさに「自分軸」という発想そのものを空手が教えてくれたことによります。
 武道における自分軸は4つの方向から考えていくことが可能です。

1 身体における自分軸
  物理的な自分軸です。武道においてだけでなく、あらゆるスポーツにおいて、体の「軸」を保つことが大事であることは争いがありません。よくコアなどと呼ばれてもいますので、お話くらいは聞いた事がおありかと思います。
  武道は、相手を倒すことをその目的の重要な要素としています。また、老若男女、体の大きい小さい、力の強い弱いで相手を選ぶことができません。柔道などスポーツ競技では重量で分けていますが、それは武道の発想とは真逆のものです。だって、襲われたときに、「あなたは、私より体重が酷く重いから、私とは戦えないはずだ」と相手に言ってどうなりますか。全くナンセンスです。
  ですから、武道においては、体格の優劣など言っておられませんから、自分の体力を最大限生かして、どんな敵とも退治しなくてはなりません。必然的に、自分の軸をしっかりと決めて、相手を動かすように動きます。自分に最も力の少なく、相手に最も力の大きくかかる動きをするのです。

動画を見ていただければわかりますが、この組み手で私は力を使っていませんし、ほとんど動いてすらいません、相手だけが振り回されているのがわかりますでしょうか。相手は、私という他人の軸に動かされてしまっているわけです。そういうことです。体格にこれだけの違いがあっても、自分の軸を揺るがせないようにすれば、対峙することは充分可能となるのです。
  
2 自分と他人との比較をしないという意味での自分軸
  武道はスポーツとは全く違います。スポーツは「他者と比較すること」をその本質としています。だからこそ、比較しやすいように、統一の基準を設け、比較しやすいように、競技する相手を男女別で分けたり、重量ごとに分けたりします。
  しかし、武道は他者との比較を明確に禁じます。例えば、他者と比較して自分が優れていると自負することを「驕慢」といって禁じます。また、これと正反対に、他者と比較して自分が劣っていると断じてひがむことも「卑慢」といって、禁じます。さらには、正しい評価によると思われる比較すらも、百害あって一利なしとして退けます。
  要するに、他者と比較しても仕方が無いということを言っているのです。武道のもう一つの重要な目的は、心と身体の鍛錬です。その鍛錬の相手はまさに自分自身であり、戦うべきは昨日の自分なのです。自分の中にこそ、敵もいれば、成果もあるのです。

3 自分の事は自分が1番分かるという意味での自分軸
  私は以前、病気で、2か月ほど稽古を休んだ事がありました。復帰して初めての稽古の日、あまりの自分の体の使えなさ、動かなさに愕然とし、稽古の途中で、頭を抱えてうずくまりたいようなショックを感じました。ところが、稽古が終わって、稽古仲間から「とても、2ヶ月のブランクがあったなんて思えない、病気の前と何も変わっていないなんてすごい」と褒められ、もっと愕然としました。自分でこれほどのショックを受けるほどの落差があるのに、人には分からないのです。結局、自分の事は自分にしかわからないのであり、自分の評価は、自分でするしかやりようがないのです。これも自分軸の1つの局面と言えます。
  昔、ある世界的に高名なプリマバレリーナが、こういうことを仰っていました「稽古は3日休むと観客に分かる。2日休むと同僚にわかる。1日休むと自分にわかる。」と。奇しくも人との比較を禁じる武道の精神と同じ土壌が醸成されていることに大きな驚きを覚えます。
  つまり、何事も一流と言われる人は自分軸で自分を判断しているということなのです。
 
4 相手との命のやりとりの局面での自分軸
  これが一番難しく、まだ、未熟な私としては現実的な実感というより、理想論で語るしかできないことをお許しいただき、その上でお聞きいただきたいと思います。
  空手における組み手は、命のやりとりです。「やりとり」であるが故に、こちらが闘争心で押していけば、相手も闘争心で対峙してきます。こちらが力任せにぶつかれば、相手も力任せにぶつかってきます。これを繰り返していると、だんだんと相手と鎖でつながっているような状況になり、相手の動きに、相手の思いにこちらが動かされ、自分を見失っていきます。

  そして、そういう状況下にあっても、自分を見失わず、自分の考えた、自分の取るべき動きを冷静に取れるかどうかが、まさに自分軸なのです。他者に惑わされず、自分の取るべき動きを自分で取るというのは、私にとってもまだまだ達成できない課題です。